2017年03月01日

オオクニヌシノミコトと野ねずみ


大むかし、オオクニヌシノミコトという若い神様が、スサノオノミコトという大神様に会いに、ご殿へ出かけて行きました。

 スサノオノミコトの娘のスセリ姫が、オオクニヌシノミコトをお迎えしました。

「おとうさま、おとうさま、とてもりっぱな男のかたが、いらっしゃいました。」と、スセリ姫はおとうさんのスサノオノミコトに知らせました。

 スサノオノミコトは、元気すぎて、ひどく乱暴な神様でした。 オオクニヌシノミコトに会うと、さっそく、いいつけました。

「お前は、今夜へびのほら穴へ寝ろ。」
「はい。」

 オオクニヌシノミコトノ返事を聞いて、スセリ姫は、心配でなりません。 へびのほら穴というのは、大きなへびや、ちいさなへびが、うようよと、いっぱいいる、気味が悪いほら穴なのです。

 そこで、スセリ姫は、こっそりとオオクニヌシノミコトに、一枚の布を渡していいました。
「もし、へびが、かみつきそうになりましたら、この布を三度振って、追い払ってください。」

 オオクニヌシノミコトは、その布をもらって、ほら穴へはいりました。 すると、へびたちが、首をもたげて、にょろにょろと、オオクニヌシノミコトのほうへ近づいてきました。

 オオクニヌシノミコトは、スセリ姫にいわれたとおり、布を三度振りました。 へびたちは、すっかりとおなしくなり、オオクニヌシノミコトは、一晩じゅう、ぐっすりと眠ることができました。

 あくる朝、スサノオノミコトは、オオクニヌシノミコトが、けろりとした顔つきをしながら出てきたのを見ると、こんどは、むかでと、はちがいる穴べやに、オオクニヌシノミコトを入れました。

 でも、オオクニヌシノミコトは、こんども、スセリ姫がくれた布で、むかでと、はちを追い払いました。
 スサノオノミコトは、くやしくてなりません。

「きょうは、野原へ行くから、ついて来い。」と、オオクニヌシノミコトにいいました。

 野原へ来ると、スサノオノミコトは、矢を弓につがえて、草がぼうぼうとはえている野原のまん中に、ビュウッと、射込みました。 そうしていいつけました。

「さあ、あの矢を取ってこい。」


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 オオクニヌシノミコトが草をかき分け、かき分け、野原の中にはいったときです。 スサノオノミコトは、人にいいつけて、野原のまわりから、草に火をつけさせました。

 野原は、火の海です。 オオクニヌシノミコトは、火に囲まれてしまいました。 すると、そのとき、一ぴきの野ねずみが出てきて、「うちは、ほらほら、そとは、すぷすぷ。」と、そうオオクニヌシノミコトに呼びかけました。 これは、中はからっぽで、外はすぼまっているという意味なのです。

 オオクニヌシノミコトは、すぐ、足もとをトンと踏みました。 すると、下は大きな穴になっていて、その中に、からだがスポッと落ち込みました。

 そのままかくれているうちに、火はそばを通りすぎて、遠のいて行ってしまいました。 おまけに、さがしている矢も、さっきの野ねずみがくわえて持ってきてくれました。

 スサノオノミコトは、とうとう、スセリ姫を、オオクニヌシノミコトのおよめさんにくださいました。





  
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引用書籍
ママお話聞かせて autumn 秋の巻 出版社:小学館 の、「オオクニヌシノミコトと野ねずみ」のお話より、引用、掲載させていただきました。
※こちらのイラストは、絵本の絵を参考に描かせていただきました。
※他にも、世界中のお話や、日本の民話、昔話、神話なども掲載されていますので、ぜひ書籍でお読み下さい。

posted by ひよこ at 23:47| 日本神話 | 更新情報をチェックする

2017年01月31日

コノハナサクヤヒメと富士山


『 コノハナサクヤヒメと富士山 』


 富士山は大昔は、恐ろしい火の山でした。 何度も噴火をして、大きな火の柱を吹き上げ、岩や石を雨のように降らしました。
 そのうえ、溶岩を、滝のようにあふれだし、ふもとの森や林を焼き払いました。 これには麓に住む人たちも大変困りました。

 村人たちは集まって、相談をしました。 村のおじいさんが言いました。
「これは、お山の神がお怒りになられているに違いない。そのお怒りをなだめる必要がある。 それには、このお山に相応しい氣品のある美しい女神様をお祀りすることだ。」
「氣品があって、お美しい女神さまってどなただろう?」と、またみんなで相談し、「コノハナサクヤヒメさまをお祀りしよう。」ということになりました。

 そこで村人たちは、富士山の麓に女神様に相応しい美しく立派なお社を建て、「浅間神社(せんげんじんじゃ)」と名づけて、そこにコノハナサクヤヒメさまをお祀りいたしました。


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 それからというもの、さしもの富士山もそれまでの凄まじい噴火はなりをしずめ、穏やかで氣高いお山におなったということです。


 それからずっと年月が経ち、江戸時代になりました。 日本も戦争がなくなり、平和で豊かな国になりました。 そして人々の間に、旅をしたり登山をすることが流行りだしました。
 とくに高くて美しい富士山に登って、富士山の神さまである「浅間神社」にお参りしましょうという、「富士山信仰」が盛んになりました。


 そうはいっても富士山のある「するがのくに(今の静岡県)」は、「江戸(今の東京)」からでも随分遠いお山ですから、何日も泊りがけでいかねばなりません。
 そのため、お金も随分かかりましたから、誰でも簡単にゆくことは出来ませんでした。
そこで行きたいという人たちが集まって、「講(こう)」というものをつくり、お金を出し合って順番に行く事になりました。 はじめは江戸の人たちがやっていましたが、この話が日本中に広まり、多くのところの人たちが「講」を作って行くようになったのです。


 当番になった人は、みんなの代表として富士山に登り、ふもとの「浅間大社」にお参りして、そこのお札をいただいて帰りました。
この催しが盛んになると、「講」を中心に、コノハナサクヤヒメさまをお祀りしようということになりました。 そして、自分たちの住む村や町で一番高いところを、富士山として「浅間大社」を建て、お祀りするようになったのです。
 こうして全国に、千を越す「浅間大社」が建てられ、コノハナサクヤヒメという美しい女神様が祀られているのです。




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成島 行雄 (著), 仲田 育代 (イラスト) 下野新聞社(出版) はちまんだい幼稚園(発行者)
※下記の関連本の紹介では、一番左(NOイメージ)になります。
(こちらの画像は、アマゾンさんホームページ画像screenshot。リンクしてます。)



( あとがき部分 「発刊に寄せてより」 一部抜粋掲載 )

 主人公のコノハナサクヤヒメは『古事記』の上巻に「木花之佐久毘女賣」(このはなさくやひめ)として書かれている、大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で、天津日高日子番能邇邇藝命(あまつひこひこほのににぎのみこと)の后となった女性です。
 残念ながら父親の予言どおりに短命で終わったようです。しかし、神々の歴史においては天照大御神の孫である邇邇藝命の后となり、さらに山幸彦である火遠理命(ほおりのみこと)つまり天津日高日子穂穂手見命(あまつひこほほてみのみこと)をお生みになって、その孫である神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれひこのみこと)すなわち第一代の天皇となった神武天皇(じんむてんのう)の祖母となったのですから、きわめて重要な神なのです。

 そればかりではなく、正統の歴史をはるかに越えて、民間信仰の上では、霊峰富士山のご神体として敬われ、春爛漫として咲きほこる桜の神として親しまれているのです。ということは、日本の「かたちとこころ」を代表する《富士山》と《桜》のご神体ということで、これ以上のうるわしい神様は、ほかにはありません。これが全国にある浅間神社の姿なのです。



     
コノハナサクヤヒメさまの関連グッズ(rakuten)


引用書籍
コノハナサクヤヒものがたり 発行者:はちまんだい幼稚園 出版社: 下野新聞社  P36~45
〔 上記に紹介しておりますが、上段、左の絵本となります。成島 行雄 (著), 仲田 育代 (イラスト) 〕
※書籍のお話より、一話抜粋して掲載させていただきました。子供にも分かるように、コノハナサクヤヒメさまと、縁のあるお話が掲載されています。ぜひ、書籍にてお読みください。
※書籍では、小さなお子様のために、作品中のすべての文が、ひらかなとカタカナの表記になっておりますが、こちらでのご紹介には、漢字を使用させていただきました。
※ご紹介の内容の絵本(書籍)「コノハナサクヤヒメものがたり」では、仲田育代さんの描かれた素晴らしい絵がたくさん掲載されていますので、ぜひ紙面にてご覧下さい。
(1、うつくしいめがみ 2、うみさちひことやまさちひこ 3、コノハナサクヤヒメとふじさん )
※こちらの記事の掲載イラストは、オリジナルで作成しました。紹介書籍の絵とは違っております。
※コノハナサクヤヒメさまは、ニニギノミコトさまとの間に、ホデリノミコト、ホスセリノミコト、ホオリノミコトの三人のミコをお生みになった神様です。

富士山本宮浅間大社


posted by ひよこ at 16:01| 神道 | 更新情報をチェックする

2016年05月07日

キンスカの木 ( ジャータカ絵本より )

むかし、長者に四人の息子がいました。
ある時、その四人が、話をしているうちに、キンスカという木のことが話題になりました。
「でもさ、キンスカっていったいどんな木なんだろう。」
「僕たちは一人も、木を見たことがないから、よくわからないね。」
「じゃ、一度キンスカの木をみにいこうよ」
兄弟たちは、年寄りの御者(ぎょしゃ)にたのみました。

「よろしゅうございます。でも、坊ちゃま方、この車には一人しかのせられません。それにわたしも忙しい身なので、わたしが都合がつく時、一人ずつおつれすることにいたしましょう。」

こうしてしばらくたったある日、御者はまず長男をつれて森へいきました。
「坊ちゃま、これがキンスカの木でございます。」
「ふうん、そうか・・・・・・。」
木はちょうど芽をふいている時でした。

またしばらくして、御者は次男を森へつれていきました。
「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます。」
「へー・・・・・・。」
木はちょうど、若葉がしげっている時でした。

またしばらくして、御者は三男を森へつれていきました。
「坊ちゃま、キンスカの木とはこれでございます。」
「ほー、これが・・・・・・。」
木はちょうど、花が咲いている時でした。

それからしばらくして、御者は最後の四男を森へつれていきました。
「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます。」
「へぇーーーーっ。」
木はちょうど、実がなっている時でした。

そののち、四人がまた集まった時、みんな得意そうにキンスカの木について話しました。
「キンスカの木ってさ、赤い芽がきれいなんだよね。まるで炎が燃えているみたいにさ」
「いや、若葉がふさふさしたさわやかな木だよ。」
「とんでもない。手のひらみたな赤い花が咲く、かなり気味の悪い木だよ。」
「ちがうよ。赤ん坊の頭みたいな大きな実がなる木だよ。」
「ちがうよ。」
「そっちこそちがうよ!」
みんな互いにゆずらず、いい争いになってきました。
そこで四人は父親のところへいき、誰がただしいのか裁いてもらうことにしました。

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父親は、話をくわしく聞くと、四人を森のキンスカの木のもとへつれていきました。
「あれっ、僕たちのみたものとちがう。」
「僕のともちがう・・・・・・。」
父親はにこにこしていいました。

「おまえたちは確かにキンスカの木を見た。それぞれ正しい。
けれど、それぞれがどういう時のキンスカの木かを御者に聞かなかったから、意見がくいちがってしまったんだな。
同じものでも、時期や角度や人によって見え方、感じ方はちがう。
このことをよーくおぼえておいて、よく調べ、よく考えてものごとをとらえることが大切だ。
そして、けっして自分だけが正しい、他はまちがっていると決めつけてはいけないんだよ。」


※「ジャータカ」とは、インドの民話や伝説をもとにできた、お釈迦さまの前世のおはなし。世界中に広がり、「イソップ物語」や「グリム童話」、日本の「今昔物語」にも影響を与えました。(本書帯記載文より)




引用書籍
ジャータカ絵本 - 作、諸橋精光 大法輪閣より引用  P21~32
※書籍のお話より、一話抜粋して掲載させていただきました。とても良いお話がたくさん掲載されていますから、詳しくは書籍でお読みください。
※こちらのイラストは書籍の挿絵を参考に、オリジナルで作成しました。
posted by ひよこ at 21:46| 仏教 | 更新情報をチェックする

2016年04月25日

無財の七施 ( むざいのしちせ ) 、  布施 ( ふせ )


無財の七施 ( むざいのしちせ )

”自分は忙しいんだ”
”自分はこうだと思うのに・・・”
そんなふうに思い込み、自分の事で頭をいっぱいにしていると、周囲に気を配ることはなかなかできないものです。
 しかし、人間は「誰ともかかわり合うことなく一人で生きる」ということはできません。 普通に暮らしていても、多くの人と接するものでしょうし、そもそも私たちの生活は、直接顔を合わせることのない人も含めて、さまざまな人の働きのうえに成り立っています。 そこでお互いに気持ちよく暮らしていくためには、温かい思いやりの心が不可欠でしょう。
 思いやりの心とは、自分自身の心がけ一つで、いつでも、どこでも、誰にでも発揮できるものです。
 その手がかりとして、『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』という仏教の経典の中に「無財の七施(むざいのしちせ)」という教えがあります。 ここには、財産がなくても他人に施(ほどこ)しを与えることができる七つの方法が示されています。


『 無財の七施 ( むざいのしちせ ) 』

一、眼施 ( がんせ )
  好ましいまなざしをもって、他人を見ること。

二、和顔悦色施 ( わげんえつじきせ )
  にこやかな和(やわ)らいだ顔を他人に示すこと。

三、言辞施 ( ごんじせ )
  他人に対して優しい言葉をかけること。

四、身施 ( しんせ )
  他人に対して身をもって尊敬の態度を示すこと。

五、心施 ( しんせ )
  よい心をもって他人と和し、よいことをしようと努めること。

六、床座施 ( しょうざせ )
  他人のために座席を設けて座らせること。

七、房舎施 ( ぼうしゃせ )
  他人を家に迎え、泊まらせること。


( 参考=中村元、著 『広説仏教語大辞典』 東京書籍 )

 この教えに見るように、思いやりの心を発揮する方法とは、必ずしも特別なことだけではありません。 人は日常のささやかな行いによって、周囲に喜びの種をまいていくことができるのではないでしょうか。



布施 ( ふせ )

 サンスクリット語の「ダーナ」ないし「ダクシナー」を言語とする。 布施をテッテイして行うことは、菩薩にとって欠くことのできない条件であるため、布施波羅蜜といって、六波羅蜜などの一つに数えられている。
 布施には、財産をほどこす財施(ざいせ)、人々の恐怖心を取り除く無畏施(むいせ)、法(教え)を説く、法施(ほうせ)の三種類がある。 なかでも法施はバツグンの功徳があるとされている。
 また、布施には、布施を行なう人、布施を受ける人、布施をされる人、布施されるものの三つがともなう。 ここで肝要なのは、この三つについて、「空」を観じ、トラワレの心を起こさないことである。 このことを、「三輪清浄(さんりんしょうじょう)」とか、「三輪体空」などという。 「布施を行なったんだぞ」などという気持ちをもたずに布施を行なうというのは、言うはやすく行なうはかたしなのである。




引用書籍
無財の七施(むざいのしちせ) - 心を育てる月刊誌 ニューモラル 第560号 平成28年4月号冊子より引用 P13、14 
布施 - なるほど仏教400語より引用 宮元 啓一 (著) 春秋社 P232
※書籍のお話より、一話抜粋して掲載させていただきました。詳しくは書籍でお読みください。

posted by ひよこ at 19:55| 仏教 | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

迷信を絶滅させたら、文明社会になると思ったら、人間が機械仕掛けになった。 書籍「清らかな厭世―言葉を失くした日本人へより/著:阿久悠」

「迷信を絶滅させたら、文明社会になると思ったら、人間が機械仕掛けになった。」

迷信という言葉はもう使わない。ぼくらの子供の頃は迷信が諸悪の根源のようにいわれ、迷信が存在するから非文明国なのだと決め付けられた。
 迷信にもいろいろあって、社会秩序を守るため枷(かせ)の役目を果たすものもあれば、子供の躾に利用したものもある。ぼくらが知っているのは後者の方で、おおむね「たたり」と「バチ」というかたちで愚考を改め、不行儀を慎むように教育したのである。この教育、一種の脅しであるが、何だか否定し難い思いもあって、結局守った。
「そんなことをしてると、たたりに遭うよ」とか、「それを破るとバチが当たるよ」とか、そんなふうに使われる。たたりだバチだといっても大仰なことではなく、猫を苛めると化けて出るよとか、ミミズに小便をかけるとオチンチンが腫れ上がるよ、といった種類のことである。
 猫はどこか霊的なところのある動物だから、もしかしたら、化けて仇(あだ)を返しに来るかもしれないと思ったが、ミミズに小便をかけてオチンチンが腫れ上がるというのは、如何にも非科学的で、そんなバカナと思っていた。もっとも、ミミズには霊がないと考えているから、科学を持ち出してきて、検証不能で片づけていたのである。
 何しろ、ぼく自身の幼児体験といっても、六十年も過ぎているので、猫やミミズの他にどんなたたりやバチがあったか思い出せない。思い出せないがぼくらの周辺は、迷信で埋めつくされていて、たたりとバチに照らし合わせながら、日々緊張して生きていたのである。
 その頃、両親や町の大人たちは、迷信をバイブルのように扱って、子供たちの道を正そうとしていたが、先生をはじめインテリたちは、迷信からの脱却こそが、近代国家に生まれ変わる近道ぐらいのことをいい、「科学的」を新バイブルにしようと懸命であった。
 たかが六十年前のことである。ITどころか、便所の隅々にも怪談があり、科学とは程遠かった。
 さて、この「迷信」と「科学」の戦いは、科学的が圧倒し、この文章の書き出しのように迷信は言葉すらなくなった。従って、たたりもバチも消滅した。
 しかし、である。科学万能の二十一世紀、科学による合理性で人間は幸福になり、理性的な文明人になったか。決してそうはいえない。
 迷信が消えた途端に、人々は死体が恐ろしくなくなった。だから、死体を平気で傷つけ、損壊する。かつては、人を殺すことはあっても、たたりが恐くて死体を傷つけたりはしなかった。科学的ということは、死体は決して起き上がって反撃しないという証明なら、いっそこの世は、迷信だらけの方がいい。




引用書籍 清らかな厭世―言葉を失くした日本人へ 著:阿久 悠 新潮社 発行2007年10月20日より
     ※書籍のお話より、一話抜粋して掲載させていただきました。詳しくは書籍でお読みください。
     ※書籍中の表記から、一部ひらかなから漢字表記に変更部分と、小見出しには句読点を追加しています。

阿久悠オフィシャル・ウェブサイト あんでぱんだん
阿久悠(Wikipedia)
posted by ひよこ at 22:40| 阿久悠 | 更新情報をチェックする