2016年04月25日

無財の七施 ( むざいのしちせ ) 、  布施 ( ふせ )


無財の七施 ( むざいのしちせ )

”自分は忙しいんだ”
”自分はこうだと思うのに・・・”
そんなふうに思い込み、自分の事で頭をいっぱいにしていると、周囲に気を配ることはなかなかできないものです。
 しかし、人間は「誰ともかかわり合うことなく一人で生きる」ということはできません。 普通に暮らしていても、多くの人と接するものでしょうし、そもそも私たちの生活は、直接顔を合わせることのない人も含めて、さまざまな人の働きのうえに成り立っています。 そこでお互いに気持ちよく暮らしていくためには、温かい思いやりの心が不可欠でしょう。
 思いやりの心とは、自分自身の心がけ一つで、いつでも、どこでも、誰にでも発揮できるものです。
 その手がかりとして、『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』という仏教の経典の中に「無財の七施(むざいのしちせ)」という教えがあります。 ここには、財産がなくても他人に施(ほどこ)しを与えることができる七つの方法が示されています。


『 無財の七施 ( むざいのしちせ ) 』

一、眼施 ( がんせ )
  好ましいまなざしをもって、他人を見ること。

二、和顔悦色施 ( わげんえつじきせ )
  にこやかな和(やわ)らいだ顔を他人に示すこと。

三、言辞施 ( ごんじせ )
  他人に対して優しい言葉をかけること。

四、身施 ( しんせ )
  他人に対して身をもって尊敬の態度を示すこと。

五、心施 ( しんせ )
  よい心をもって他人と和し、よいことをしようと努めること。

六、床座施 ( しょうざせ )
  他人のために座席を設けて座らせること。

七、房舎施 ( ぼうしゃせ )
  他人を家に迎え、泊まらせること。


( 参考=中村元、著 『広説仏教語大辞典』 東京書籍 )

 この教えに見るように、思いやりの心を発揮する方法とは、必ずしも特別なことだけではありません。 人は日常のささやかな行いによって、周囲に喜びの種をまいていくことができるのではないでしょうか。



布施 ( ふせ )

 サンスクリット語の「ダーナ」ないし「ダクシナー」を言語とする。 布施をテッテイして行うことは、菩薩にとって欠くことのできない条件であるため、布施波羅蜜といって、六波羅蜜などの一つに数えられている。
 布施には、財産をほどこす財施(ざいせ)、人々の恐怖心を取り除く無畏施(むいせ)、法(教え)を説く、法施(ほうせ)の三種類がある。 なかでも法施はバツグンの功徳があるとされている。
 また、布施には、布施を行なう人、布施を受ける人、布施をされる人、布施されるものの三つがともなう。 ここで肝要なのは、この三つについて、「空」を観じ、トラワレの心を起こさないことである。 このことを、「三輪清浄(さんりんしょうじょう)」とか、「三輪体空」などという。 「布施を行なったんだぞ」などという気持ちをもたずに布施を行なうというのは、言うはやすく行なうはかたしなのである。




引用書籍
無財の七施(むざいのしちせ) - 心を育てる月刊誌 ニューモラル 第560号 平成28年4月号冊子より引用 P13、14 
布施 - なるほど仏教400語より引用 宮元 啓一 (著) 春秋社 P232
※書籍のお話より、一話抜粋して掲載させていただきました。詳しくは書籍でお読みください。

posted by ひよこ at 19:55| 仏教 | 更新情報をチェックする