2012年01月20日

真間の手児奈 (市川市) 民話

昔、葛飾の真間の浦に(現在の千葉県市川市真間)、とても美しい娘が居ました。
その美しい娘を、里の人々は「真間の手児奈(ままのてこな)」と呼んでいました。
(真間の娘子(乙女)とも呼ばれていた。)
真間の手児奈という呼び名には、"真間の里に住む美しい少女"という意味が込められていました。
その呼び名で誰もが理解出来るほどの評判の娘でした。

手児奈は容姿が美しいだけではなく、性格も大変良い娘でした。
やさしい人柄だったので、多くの人々を喜ばせていました。
心根の優しい手児奈を慕うのは、人間だけではありませんでした。
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手児奈が井戸に水を汲みに行くと、井戸の周りにある猛々しい葦(あし)たちも、鋭い葉で手児奈を傷つけないように気づかって、道側の葉を落として片方の葉だけになったほどでした。

海に近い真間では、殆どの井戸が塩分を含んでいたので、町に住む人たちは悩んでいましたが、手児奈が汲みに行く井戸だけは、真水を湛えて彼女が来るのを待っているようでした。
(亀井院に現存)

手児奈はやがて娘盛りを迎えます。
粗末な麻衣に青襟を付けまとうのみ、髪に櫛も通さず、沓(くつ)も履いていませんでしたが、着飾った富豪の娘たちよりも、匂いたつほどの美しい娘でした。

可愛らしい手児奈が、笑顔で門口に立っていると、多くの男たちが恋い慕い、言い寄ってきたそうです。
やがて、手児奈を自分の妻にしたい男たちの中で、争いが起こるようになりました。
時には、激しい争いになり、傷を負うものさえ出てきました。
純粋で心優しい手児奈は、人々が争うことに心を痛めます。

「人の一生はとても短いのに、なぜこんなにまで私のことで騒ぐのかしら・・・」

とうとう手児奈は、私さえ居なければ、人々の心は穏やかになり争いごとがなくなるのでは?と、考えるようになってしまいます。

そして、ある日思い悩んだ手児奈は、真間の入り江に、身を投じてしまいました。
里人たちは、可愛い手児奈の死を深く悼みました。
入り江の辺に大切に葬られたそうです。

その後、手児奈の美しさは、みなに語り継がれるようになりました。

弘法寺の手児奈霊堂前にある池が、手児奈が身を投げた入り江であると言われています。

※後世の万葉歌人、山辺赤人、高橋虫麻呂も、墓所を訪れ、手児奈を追慕した、短歌や長歌を作った。

 
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画像はgoogleマップよりスクリーンショット
●手児奈霊堂
●亀井院 真間の井の紹介
●市川市 (手児奈のおはなしはこちら)

★実際に、散策に出かけましたが、手児奈霊堂にはたくさんのお参りがあるようです。
 出産や子育て、子宝祈願、良縁など、女性の願い事が多く願われているようです。
 今も地元の人々にとても愛されている手児奈様でした。
 
 真間の井、亀井院も行きましたが、手児奈にまつわる書籍も置かれていました。
 きれいな庭に、手児奈が汲んでいた井戸もありました。

 葦までも手児奈をいたわろうとさせるほど、優しく麗しい女性だったのですね。

参考書籍 日本の民話5
     ※参考図書を元に、文章を書いています。
画 ひよこ(※2月7日追加)
posted by ひよこ at 03:28| 民話 千葉 | 更新情報をチェックする