2015年06月01日

野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや) ( 相撲のはじまり )

遠い、むかしのことです。 当麻蹴速(たいまのけはや)という、大男がいました。
「おれは日本一の力持ちだぞ。だれか、おれと力くらべをするものはいないか!」
蹴速は、そいういいながら、日本中をまわって歩きました。 でも、どこでも、相手になろうという人はいません。 そのはずです。 ものすごい大きなからだなのです。 鬼のようなこわい顔です。 手にも足にも針のような毛が生えています。
「あんな人と取っ組んだら、殺されてしまうよ。」
蹴速の姿を見ただけで、みんなふるえあがってしまいます。
「やっぱり、おれにかなうものはひとりもいないのか。」
蹴速は、ますますいばりだしました。 そして、力の強いのを見せてやろうと、いろいろなことをやるのです。
たんぼで働いている牛を捕まえて、角を折ってしまったこともあります。 げんこつで、馬をなぐり殺したこともあります。人の寝ている山小屋を、ひっくり返したこともあります。

 乱暴なことを、平気でやっている蹴速のうわさは、日本じゅうにひろがりました。 都の、大臣の耳にもはいりました。
「そうか。そんな男をそのままにしておくのはよくない。」
 心配した大臣は、そのことを天皇にお伝えしました。 すると、天皇も、たいへん心配なさいました。 そこで大臣は、いろいろな人に頼んで、蹴速よりも力の強い男をさがしてもらいました。 すると、野見宿禰という、おとなしくて、力の強い男のいることがわかりました。
「よし、それでは、当麻蹴速と野見宿禰と、どっちが強いか、力くらべをさせることにしよう。どんな方法がいいかな。」
大臣はいろいろ考えました。
「そうだ、ふたりに、すもうをとらせることにしよう。」
大臣は、そうきめました。天皇に申し上げると、天皇も賛成してくださいました。 さっそく、ご殿のお庭に、ふたりのたたかう場所がつくられました。

 いよいよ、たたかいの日です。 ふたりを見ると、なるほどどっちもものすごい大男です。 どっちが強いのか、だれにも見当がつきません。 白い長いひげの老人が、行事になりました。
 ふたりの大男は、にらみあいました。 かけ声といっしょに、立ちあがりました。 がっぷりと組ました。 見ている人たちも力がはいって、手に汗をにぎっています。

 土俵のふたりは、組み合ったまま、すこしも動きません。 いいえ、どっちも、ありったけの力を出していることが、赤くなった顔の色でわかります。 あらしのような鼻息でもわかります。 そして、どっちのからだからも、汗がぼたぼたと流れ出しました。

 そのまま、長い時間が続きました。
「うーん。」
ふと、どっちかの声がしました。 苦しそうなうなり声でした。
「あ、それまで!」
 行事が叫びました。 そして、あわてて、ふたりをはなそうとしました。
「え、どうしてだろう。」
まわりの人には、わけがわかりません。
saisei_1500508.jpg
野見宿禰がぱっと手を放しました。 とたんに、みんなは「あっ」と、おどろきました。 当麻蹴速のからだが、どたりと、ころがり落ちたのです。 そして、そのまま動きません。

 それは、野見宿禰の力が、あまりも強かったのです。 しめつけられた当麻蹴速のからだの骨が、くだけてしまったのでした。
 このときのすもうが、日本のすもうのはじめとなりました。




「たつの」はじまり 相撲の神様、野見宿禰(ひょうご歴史ステーション)
野見宿禰神社(Wikipedia)
野見宿禰墓(ひょうご伝説紀行ステーション)
当麻蹴速(Wikipedia)
當麻蹶速塚 - 葛城市公式webサイト
日本相撲協会公式サイト
相撲(Wikipedia)
土俵(Wikipedia

参考書籍 ママお話聞かせて-夏の巻
     ※参考図書を元に、文章を書いています。

画 ひよこ  ※参考図書の掲載画を元に、イラストを描かせていただきました。
posted by ひよこ at 00:00| 日本の風習、行事など | 更新情報をチェックする

2012年11月02日

七五三詣

※書籍「宮司が語る京都の魅力(日本人の心の源流を探る)」より引用紹介させていただきます。

 七五三詣といえば皆さんも幼い頃、晴れ着を着て、氏神様にお参りをし、千歳飴を貰った事を懐かしく思い出されることでしょう。それでは改めて七五三詣とはどのような行事なのでしょうか。

 七五三詣とは子供の成長の節目の、三歳、五歳、七歳になった歳のお祝いのお参りです。十一月十五日に数え年で男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳に晴れ着を着て、氏神様にお参りに行き、それまでの成長の無事を感謝し、これからの成長の無事を願うものです。

 中世より江戸時代には、男女とも三歳になると、剃っていた髪を蓄えはじめる「髪置き」という儀式を行いました。そして五歳の男の子は初めて袴をはく袴着(はかまぎ)という儀式を行い、七歳の女の子は初めて帯を使用し着物を着る帯解(おびとき)という儀式を行いました。しかし江戸時代まで、十月十五日にこの行事を行うことは定められていませんでした。十月十五日に行うようになったのは、徳川吉綱がわが子の七五三をこの日に行った事によるものといわれています。それにより十一月にこの行事を行うのが一般的になりました。

 医学が発達しておらず、三歳まで無事に生きられることが常識でなかった時代、三歳を迎えるということは、赤ん坊から幼児となり、これ以降、死なずに成長する可能性が増大する節目でした。

 そして五歳は男子として育て始める節目であり、七歳は女子として教育し始める節目でありました。



参考書籍 宮司が語る京都の魅力(日本人の心の源流を探る)より引用紹介させていただきました。

京都 恵美須神社 第37代宮司様 中川久公様著 PHP研究所出版
※分りやすく、とても良い内容です、ぜひお買い求めください。

恵美須神社(京都)
http://www.kyoto-ebisu.jp/
posted by ひよこ at 12:37| 日本の風習、行事など | 更新情報をチェックする