2016年05月07日

キンスカの木 ( ジャータカ絵本より )

むかし、長者に四人の息子がいました。
ある時、その四人が、話をしているうちに、キンスカという木のことが話題になりました。
「でもさ、キンスカっていったいどんな木なんだろう。」
「僕たちは一人も、木を見たことがないから、よくわからないね。」
「じゃ、一度キンスカの木をみにいこうよ」
兄弟たちは、年寄りの御者(ぎょしゃ)にたのみました。

「よろしゅうございます。でも、坊ちゃま方、この車には一人しかのせられません。それにわたしも忙しい身なので、わたしが都合がつく時、一人ずつおつれすることにいたしましょう。」

こうしてしばらくたったある日、御者はまず長男をつれて森へいきました。
「坊ちゃま、これがキンスカの木でございます。」
「ふうん、そうか・・・・・・。」
木はちょうど芽をふいている時でした。

またしばらくして、御者は次男を森へつれていきました。
「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます。」
「へー・・・・・・。」
木はちょうど、若葉がしげっている時でした。

またしばらくして、御者は三男を森へつれていきました。
「坊ちゃま、キンスカの木とはこれでございます。」
「ほー、これが・・・・・・。」
木はちょうど、花が咲いている時でした。

それからしばらくして、御者は最後の四男を森へつれていきました。
「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます。」
「へぇーーーーっ。」
木はちょうど、実がなっている時でした。

そののち、四人がまた集まった時、みんな得意そうにキンスカの木について話しました。
「キンスカの木ってさ、赤い芽がきれいなんだよね。まるで炎が燃えているみたいにさ」
「いや、若葉がふさふさしたさわやかな木だよ。」
「とんでもない。手のひらみたな赤い花が咲く、かなり気味の悪い木だよ。」
「ちがうよ。赤ん坊の頭みたいな大きな実がなる木だよ。」
「ちがうよ。」
「そっちこそちがうよ!」
みんな互いにゆずらず、いい争いになってきました。
そこで四人は父親のところへいき、誰がただしいのか裁いてもらうことにしました。

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父親は、話をくわしく聞くと、四人を森のキンスカの木のもとへつれていきました。
「あれっ、僕たちのみたものとちがう。」
「僕のともちがう・・・・・・。」
父親はにこにこしていいました。

「おまえたちは確かにキンスカの木を見た。それぞれ正しい。
けれど、それぞれがどういう時のキンスカの木かを御者に聞かなかったから、意見がくいちがってしまったんだな。
同じものでも、時期や角度や人によって見え方、感じ方はちがう。
このことをよーくおぼえておいて、よく調べ、よく考えてものごとをとらえることが大切だ。
そして、けっして自分だけが正しい、他はまちがっていると決めつけてはいけないんだよ。」


※「ジャータカ」とは、インドの民話や伝説をもとにできた、お釈迦さまの前世のおはなし。世界中に広がり、「イソップ物語」や「グリム童話」、日本の「今昔物語」にも影響を与えました。(本書帯記載文より)




引用書籍
ジャータカ絵本 - 作、諸橋精光 大法輪閣より引用  P21~32
※書籍のお話より、一話抜粋して掲載させていただきました。とても良いお話がたくさん掲載されていますから、詳しくは書籍でお読みください。
※こちらのイラストは書籍の挿絵を参考に、オリジナルで作成しました。
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2016年04月25日

無財の七施 ( むざいのしちせ ) 、  布施 ( ふせ )


無財の七施 ( むざいのしちせ )

”自分は忙しいんだ”
”自分はこうだと思うのに・・・”
そんなふうに思い込み、自分の事で頭をいっぱいにしていると、周囲に気を配ることはなかなかできないものです。
 しかし、人間は「誰ともかかわり合うことなく一人で生きる」ということはできません。 普通に暮らしていても、多くの人と接するものでしょうし、そもそも私たちの生活は、直接顔を合わせることのない人も含めて、さまざまな人の働きのうえに成り立っています。 そこでお互いに気持ちよく暮らしていくためには、温かい思いやりの心が不可欠でしょう。
 思いやりの心とは、自分自身の心がけ一つで、いつでも、どこでも、誰にでも発揮できるものです。
 その手がかりとして、『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』という仏教の経典の中に「無財の七施(むざいのしちせ)」という教えがあります。 ここには、財産がなくても他人に施(ほどこ)しを与えることができる七つの方法が示されています。


『 無財の七施 ( むざいのしちせ ) 』

一、眼施 ( がんせ )
  好ましいまなざしをもって、他人を見ること。

二、和顔悦色施 ( わげんえつじきせ )
  にこやかな和(やわ)らいだ顔を他人に示すこと。

三、言辞施 ( ごんじせ )
  他人に対して優しい言葉をかけること。

四、身施 ( しんせ )
  他人に対して身をもって尊敬の態度を示すこと。

五、心施 ( しんせ )
  よい心をもって他人と和し、よいことをしようと努めること。

六、床座施 ( しょうざせ )
  他人のために座席を設けて座らせること。

七、房舎施 ( ぼうしゃせ )
  他人を家に迎え、泊まらせること。


( 参考=中村元、著 『広説仏教語大辞典』 東京書籍 )

 この教えに見るように、思いやりの心を発揮する方法とは、必ずしも特別なことだけではありません。 人は日常のささやかな行いによって、周囲に喜びの種をまいていくことができるのではないでしょうか。



布施 ( ふせ )

 サンスクリット語の「ダーナ」ないし「ダクシナー」を言語とする。 布施をテッテイして行うことは、菩薩にとって欠くことのできない条件であるため、布施波羅蜜といって、六波羅蜜などの一つに数えられている。
 布施には、財産をほどこす財施(ざいせ)、人々の恐怖心を取り除く無畏施(むいせ)、法(教え)を説く、法施(ほうせ)の三種類がある。 なかでも法施はバツグンの功徳があるとされている。
 また、布施には、布施を行なう人、布施を受ける人、布施をされる人、布施されるものの三つがともなう。 ここで肝要なのは、この三つについて、「空」を観じ、トラワレの心を起こさないことである。 このことを、「三輪清浄(さんりんしょうじょう)」とか、「三輪体空」などという。 「布施を行なったんだぞ」などという気持ちをもたずに布施を行なうというのは、言うはやすく行なうはかたしなのである。




引用書籍
無財の七施(むざいのしちせ) - 心を育てる月刊誌 ニューモラル 第560号 平成28年4月号冊子より引用 P13、14 
布施 - なるほど仏教400語より引用 宮元 啓一 (著) 春秋社 P232
※書籍のお話より、一話抜粋して掲載させていただきました。詳しくは書籍でお読みください。

posted by ひよこ at 19:55| 仏教 | 更新情報をチェックする