2014年07月01日

三、天照大神(あまてらすおおみかみ)  うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~より


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天照大神 

男の神さまを 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
女の神さまを 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
と申し上げます
お二人がごいっしょになるとき 始めに女の神さまがおさそいになったので
男の神さまは わたしこそ先にとおおせられ あらためてごいっしょになられました
そして大空に光りかがやく うるわしい日の神さま
天照大神 お生まれになりました
わが国でいちばんとうとい 温かく和をとうとぶ神さまです


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二、わが地(くに)の始まり  うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~より
三、天照大神(あまてらすおおみかみ)  うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~より

原作 山鹿素行  文 新田大作  絵 木下翔逅
発行 中朝事実刊行会

※ うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~の書籍より 掲載させていただきました。
※ 文字部分等、冊子の配置とは若干異なって掲載しております

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2014年06月01日

二、わが地(くに)の始まり  うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~より


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わが地(くに)の始まり 

始めにお生まれになった神さまは
後からお生まれになった
男の神さまと
女の神さまに
後後(あとあと)までもさかえるように
すばらしい地(くに)をつくるようにと
お教えになりました

そこで お二人の神さまは
日本(にっぽん)の地(くに)
十葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の地(くに)を
お生みになりました



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二、わが地(くに)の始まり  うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~より


原作 山鹿素行  文 新田大作  絵 木下翔逅
発行 中朝事実刊行会

※ うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~の書籍より 掲載させていただきました。

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2014年05月31日

一、神さまのおたんじょう  うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~より

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神さまのおたんじょう

遠い遠い昔 考えられないくらい 遠い昔
とうといとうとい神さまが お生まれになりました
わたくしたちの ごせんぞの神さまです




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一、神さまのおたんじょう  うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~より
二、わが地(くに)の始まり  うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~より

原作 山鹿素行  文 新田大作  絵 木下翔逅
発行 中朝事実刊行会

※ うるわしの日出づる国 ~「中朝事実」物語~の書籍より 掲載させていただきました。


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2014年04月09日

江戸っ子に親しまれて 水天宮 (東京・江戸)

 安産の神様として、これほど有名な水天宮さまですが、じつは、もと筑後(現在の福岡県)久留藩主有馬家の、江戸屋敷の中にあった社だったのです。 現在の蠣殻町に移ったのは明治五年のことで、それまでは、芝赤羽の上屋敷にまつられてありました。

 この水天宮さまは、もとは筑後川のほとりにありました。 元来は名のように、水を司る神さまでした。 水天竜王ともいいます。 ですから土木、河川工事の進んでいない当時は、河川の氾濫を防ぐために、諸国の大名は頭をひねったものです。 久留米は筑後平野の一端にあり、豊かな米どころですが、九州第一の大河、筑後川が流れています。 静かに流れているときは、豊かな米・麦のみのりを助けますが、大雨が降り続くと、まるで狂った竜のように暴れて、人家を呑み、田畑を流します。

 藩主有馬候は、参勤交代で江戸へ来ているあいだも、郷里の天候が心配です。 それで久留米の水天宮を江戸の藩邸に分霊してまつり、筑後川の氾濫がなく五穀が実るように、祈願することにしたのです。

 そのころ、江戸は世界一の大都市であったといわれます。 また日本の国内では、もっとも武士の多い町でした。 それというのも、諸国の大名が、多くの家来を連れて江戸へやってくるからです。
 物見高い江戸っ子たちは、この諸国から集まってくる大名や、大名屋敷、そこに起こった事件などを見たり聞いたりして、おもしろがったものですが、そのなかでも、有馬の殿さまはたいへん人気がありました。

  そのころ、大名は収入を増やすため、屋敷に神社・寺院を建て、江戸の市民に開放しました。 おさい銭を受け、ろうそく・お供物・御符(御符)などを売るためです。 そして、そのなかでいちばんにぎわったのが、虎の門の京極家の屋敷にまつられた金刀比羅さま(本宮は讃岐=香川県)と有馬の水天宮であったのです。 有馬の水天宮が、江戸市民に親しまれたのには、いろいろ理由があります。

 江戸の名物を「火事に、けんかに、犬のくそ」といいます。 このうち、有馬家は、「火事」と「犬」に大いに関係がありました。
 火事の多い江戸では、今日でいう消防団もありましたが、大名たちも、一つには、自分の屋敷を守るため、二つには、江戸市民にサービスし、藩のかっこいいところを見せようと、はでな消防団を組織していました。 これを「大名火消し」といいます。

 火事の被害を最小限にとどめるためには、一ときも早く火事を発見することです。 そこで有馬の殿さまは、屋敷の庭に、高さ約十メートル、江戸でいちばん高い「火の見やぐら」をつくりました。 今日、東京名所の東京タワーの近くでもあります。 地方から江戸へやってくる武士・商人・観光客は、まるで東京タワーを見物にくるように、この有馬邸の火の見やぐらを見にきたものです。

 湯も水も火の見も有馬名が高し
 火の見より今は名高き尼御前

「湯も水も」の水は、もちろん「水天宮」の水ですが、「湯」は、有名な有馬温泉(兵庫県)から引いてきて、有馬の殿さまに重ねたものです。

 また、あとの句の「尼御前(あまごぜ)」とは、水天宮のことです。 なぜ水天宮を「尼御前」と読んだのかは、後でまた説明しますが、水天宮を安産の神さまとする信仰がだんだん強くなって、いまでは「火の見やぐら」よりもこちらが有名である、という意味です。

 もともと水天宮は、久留米の本宮のころからも安産の神といわれていたのですが、六代目の殿さま(則維 のりふさ)が、犬公方で有名な五大将軍綱吉からもらった愛犬を、大名行列に連れてあるいて評判となり、有馬公といえば犬、そして当時、妊婦はみな犬のように安産ができれば・・・ということできそって有馬屋敷の水天宮におまいりしたというわけです。

 大名行列が江戸市内にはいってくるときには、江戸市民たちは、ショーでも見るようなつもりで、道も狭いほどでした。 それで大名も、それぞれ趣向をこらし、ひげやっこに槍おどりをさせたり、きれいに着飾った美しい少年武士を、殿さまのわきにつけたりしましたが、有馬公の行列では、この「曳き犬」が名物でした。

 水天宮のおかげで有馬公が有名になったのか、有馬公のおかげで水天宮の人気が出たのか、どちらともいえませんが、そのころの江戸の庶民にもっとも人気があったことは事実です。 それは、日常会話に、「そうでありま(有馬)の水天宮」とか、また勝ち将棋のとき胸を張って、「どうでありま(有馬)の水天宮」などとしゃれて用いられたことからも、よくわかるというものです。

 この江戸時代の庶民の信仰が、そのまま明治になっても引き継がれ、今日も衰えることなく、いよいよ栄え、年間百万人もの参詣者でにぎわっています。


※ 参考図書を元に、引用、文章を書いています。
  東京水天宮ものがたり1985年11月3日第一発行(講談社)の、(二)より抜粋掲載させて頂きました。
(一)そうでありまの水天宮
(二)江戸っ子に親しまれて
(三)安徳天皇と壇ノ浦の悲劇
(四)尼御前と久留米の水天宮


東京 水天宮
全国総本宮 水天宮(久留米)
水天宮 - Wikipedia




 
posted by ひよこ at 15:33| 民話 東京 | 更新情報をチェックする

2014年03月31日

蛇女房(へびにょうぼう)

昔、むかし、あるところに、心根のやさしい若者がおりました。
野良仕事に精出しては、いつもの池の縁で昼食をとり、残った食べ物を「水神様にあげます」といって池に投げ入れておりました。

ある日、池の縁にきれいな乙女が立っていて、「私は池の主、何時も食べ物をもらいお世話になったのでその恩返しに是非私をあなたの妻にしてください。」といいました。

美しい娘の姿を一目見てすっかり恋をしてしまった若者は、乙女を家に連れて帰り一緒に住みました。
しばらく暮らすうちに、娘はいつしか懐妊し、やがてお産の時を迎えました。

「節穴のひとつもない部屋を造って、たらいに水を汲んで置いてください。それから誰も近づかぬように・・・・。もし、一目でも人に見られたら、私はこの家におられなくなります。」といいました。

若者は、なにもそれ程隠すこともあるまいにと節穴の一つを抜いて中をのぞいてしまいました。すると部屋の中では、大蛇がたらいを幾重にも巻いて、たらいの中の赤子をその尻尾で水洗いをしていました。

若者は、大変びっくりしましたが、そ知らぬ顔をしていますと、もとの美しい姿にかえり部屋からでて来た女房は「あれ程お願いしていたのに、あなたは約束を破り、本当の私の秘密を知ってしまいました。見苦しい姿をみられてしまったからには、もうこの家にいることはできません。どうかこの子供を頼みます。」といいました。

「お前の秘密は知ってしまったが、別れるつもりはない。子供のために大切な親なのだから、いつまでもこの家にいてほしい。」
若者はそういって頼みましたが、女房は聞き入れず「この子があまり泣くときは、池の縁にきて笛を吹いて私を呼んでください。」といい残し姿を消してしまいました。

子供が泣く時に池の縁にゆくと母親の姿になり池からでて来て乳をのませてくれました。

そのうち、子供が大きくなるにつれ母親との別れをいやがり、大声をあげて泣きさけび母親を引きとめようとするようになりました。

「こんな母を恋しがってはかえって将来のためにならない。本当の母親の姿をみせればきっとあきらめるでしょう。」と心を鬼にしてわが子に大蛇になった姿をみせその後は二度と姿を現しませんでした。

わが子への愛は大蛇も人間も変わらぬものと村人たちは話合ったといいます。


【動画】蛇女房(dailymotion)

株式会社ナグモ様 (群馬県のお土産など製造されているそうです)

参考書籍 尾瀬の民話と伝説 尾瀬むかしむかし 第ニ集より
     (株ナグモ様の書籍より)
     ※参考図書を元に、文章を書いています。
posted by ひよこ at 17:23| 民話 群馬 | 更新情報をチェックする